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2020年05月14日

初夏ヲ詠メル

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葉で翳る まばらなひとかげ 街の夏 疎外と云ふもぢ 硝子にきざむ

るい詠める

<読み>
はでかげる まばらなひとかげ まちのなつ そがいというもじ がらすにきざむ

<意味>
陽光が葉陰で遮られている。まばらな人影はこの街の夏 [というのであろうか] 疎外と謂う文字を硝子に刻む。

<解説>
絶対にみられる筈もなかったのにも関わらず、今の街の光景は何故か既視感がある。きっとSF作品やホラー作品に登場する光景の、再現なのだ。だけれども、それがまさか実際にこの身の上に起きるとは思いもしなかったし、そうでなくとも、そんな理由によるとは思いもしなかったのだ。
例えば、特撮TV番組『ウルトラQ (Ultra Q)』 [1966TBS系列放映] 第11話『バルンガ (Balloonga)』 [脚本:虎見邦男 監督:野長瀬三摩地 特技監督:川上景司] で、ひとっこひとりいなくなってしまった街は登場する。しかし、その原因は、この街の存在を支えるエネルギーと謂うモノが一切、奪われたからだ。この物語は、当時の [そして今も] 文化文明が一体なにに依存しているかを物語る寓話であるからだ。
では、今の街の光景からは一体、どんな寓話を胚胎しているのであろうか。
第4句「疎外」は、現代の文化文明を語るになくてはならない必要悪の様な語句ではあるが、その言葉がもつ真意は、果たして普遍のモノだろうか。その意味するモノが変わる、もしくは消失してしまう。そんな怖れ [果たしてこんな語句がそこにある感情を表現しているのかいささか心許ないのだが] が、「硝子」 [恐らく街中のショー・ウィンドウ等の] を刻むと謂う行為に耽させているのではないだろうか [実際に傷つけ刻み付けているかどうか? 比喩的な表現なのかもしれない。だって犯罪行為だもの]。

posted =oyo= : 17:12 | comment (0) | trackBack (0) | るいの歌集(仮)

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