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2020年03月05日

あっしぇんばっはニ詠メル

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死すべきを み送るのちの しろい浜 たが咎むるや ひとり逝くひと

るい詠める

<読み>
しすべきを みおくるのちの しろいはま たがとがむるや ひとりいくひと

<意味>
死ぬ運命にある人々を見送った後のしろい海浜 [にいる] 誰が咎めるだろうか? 孤独に死んでいく人を。

<解説>
詞書にあるのは、小説『ヴェニスに死す (Der Tod in Venedig)』 [作:トーマス・マン (Thomas Mann) 1912年発表] の主人公、作家のグスタフ・フォン・アッシェンバッハ (Gustav von Aschenbach) であろう。さもなければ、その映像化作品である映画『ベニスに死す (Morte a Venezia)』 [ルキノ・ヴィスコンティ (Luchino Visconti) 監督作品 1971年制作] の主人公、作曲家のアッシェンバッハ (Gustav von Aschenbach) [演:ダーク・ボガード (Dirk Bogarde)] に違いない。
いずれであろうとも、その物語の終焉、主人公が迎える末路についての描写である筈だ。
第4句「咎めるや」は、マ行下二段活用動詞"咎む"已然形 + 反語の終助詞"や"でる。従って、解釈する場合は、"咎めるだろうか、否、咎めない"とする。
ところで、この歌を解釈する場合に、悩ましいのは、第4句の目的語はなんなのか、と謂う事である。結句「ひとり逝くひと」の様でもあるし、第3句「しろい浜」の様でもある。上の<意味>では、前者の場合ではあるが、そうした理由は、後者の場合に結句「ひとり逝くひと」はこの歌のなかで解釈上、どの様な位置にあるべきか不可解だからである。「ひとり逝くひと」が「しろい浜」を咎めるとすべきなのだろうか?

(この項:たい)

posted =oyo= : 17:17 | comment (0) | trackBack (0) | るいの歌集(仮)

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