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2013年11月14日

神無月果テテ詠メル

20131114.jpg
みちのくへ ゆき倦ねるにや 鬼独り あきなき年は きみが背にをり

るい詠める

<読み>
みちのくへ いきあぐねるにや おにひとり あきなきとしは きみがせにをり

<意味>
[この道の果てにある] 陸奥へ行きかねているのだろうか、鬼がひとり、秋がないこの年は、あなたの背に座っている。

<解説>
情景は解る。だけれども、その情景に託されている真意がよく解らない。と、謂うか、いくらでも深読みが出来そうな気がする。
まぁ、とりあえずひとつひとつ観ていきましょう。
詞書の「神無月」は勿論、10月の異名で、口語に書き下すと10月が終わって、という意味。単純に、この歌を詠んだ時季を明示しているだけである。だけれども、「神無月」という語句の語源は、この月は日本中の神々が出雲大社 (Izumo-taisha)に結集する事になっているので、神々が居ない月という意味だ。この事に拘泥すれば、その10月が終わって11月になったから、神々は皆総て、地元に引き上げる事になっている。にも、関わらずに、帰還を躊躇らっている鬼≒神がいると、解釈する事が出来る。
これは余談だけれども、神事ではなくて、10月末日の夜のハロウィン (Halloween) とその翌日の万聖節 (All Saints' Day) が果てた時、と解釈しても良いのかもしれない。この世での宴が終わったのにも関わらず、おのれの住処に還ろうとしないモノがいる、という意味だ。
そうなると、初句の「みちのく」は地理的な意味での東北地方を指していると解釈するよりも、その語源である「道の奥」とする方が、鬼の帰還先としては意味が取りやすい。つまり、人道の果てにある鬼畜の地という様な意味である。尤も、東北出身の鬼と読んでも問題はないのだけれども。
そして、そんなヒトでないモノが還ろうとしないで、「きみの背」に居るという状況を果たして、どう解釈すべきなのか。
第4句は、ここ数日の厳しい寒さを詠んだモノである事は、誰でも理解出来るだろう。「あき」は「秋」と「飽き」、「なき」は「無き」とも「哭き」とも「亡き」とも取れる掛詞である可能性はあるが、それを<意味>の中に反映させる術はない。
第2句も、「ゆく」は「行く」にも「往く」にも「逝く」にも、そしてもしかしたら「雪」にも、解釈する事が可能だ。
そういった多義性、もしかしたらそれは偶然の成せるわざとも、単なる深読みとも謂えてしまうのだけれども、それが故に、この歌の訳の解らなさを生成させているのかもしれない。
「にや」は、断定の助動詞「なり」連用形 + 疑問の係助詞「や」で、語尾の「あらむ:ラ行変格活用動詞「あり」未然形 + 推量の助動詞「む」連体形」等を補って訳す(「む」が連体形なのは係り結びの法則による)。

(この項:たい)

posted =oyo= : 16:51 | comment (0) | trackBack (0) | るいの歌集(仮)

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