conceived and constructed by たいとしはる tai toshiharu
« 愛ノ不在ヲ疑ヒテ詠メル | メイン | cry baby cry / blood on the floor »

2005年10月30日

香取慎吾 in スマステーション 5

カテゴリーに問題があるんぢゃないかという御指摘もあろうかと思いますが、番組スタート時は”報道番組”だったんで、まぁ、とりあへずこれでいきます。

前々回が黒澤明特集で前回が崔洋一監督を招いて芸者特集(っていってもお座敷あがった訳ぢゃあないよ、要はfeat.スピルバーグ最新作『さゆり(memories of geisha)』)、そして今回と次回に渡って北野武特集と映画づいているこの番組『スマステーション 5』(通称スマステ 5)。単に北野武監督の新作『TAKESHIS'』 の番宣ぢゃあないかという下衆の勘ぐりもしたくなるのを、ぐっとこらえて真面目(?)にこの番組を考えてみる。

いつもこの番組を観る度に感じるのは、本番組のスタッフの香取慎吾へのまなざしだ。香取慎吾は当然ながら本番組のMCであるから、彼を中心に番組を制作しているのはごく当たり前と言えば当たり前なんだろうけれども、それだけではなくて、どうも、この番組には香取慎吾を「教育」しようというヴィジョンがある様な気がしてならない。

と、いうのは、MCが様々なニュースや話題やトピックスを自らがチョイスし自らの切り口で紹介し論説していくというのが、 この手の番組のオーソドックスな手法だとすれば、『スマステ』全く逆の手法なのだ。
つまり、慎吾ちゃんどう?こんな話題あるよ?こんな事件があるよ?こんな人物がいるんだよ?と、彼の前に様々なメニューを並べて彼の関心や興味を引き出そうとしている様に思える。
だからといって、視聴者の目線に彼が立つというのでも、視聴者の代表として彼を捉えるというのでもない。番組スタッフは、香取慎吾の向うに多くの視聴者を見据えているのではない。
彼らは、ただ単に香取慎吾だけをみているのだ。

と、断言しちゃうと語弊があるのだけれども。
勿論香取慎吾は、恐れるべき絶対君主でもなければ、裸の王様でもない。

つまり、香取慎吾の可能性を切り開き、彼に新しいヴィジョンを提供したいというニュアンスが感じられるのである。要は始めに帰って、それを僕は「教育」と呼ぶんだけれどもね?

例えば、三谷幸喜が熱烈なラヴ・コール(一緒に舞台やろうよ!)を絶えず送っている様に、素材としての彼に注目している人々は数多くいる。また、昨年のNHK 大河ドラマ新選組 !』で、山本耕史が、あたかも土方歳三近藤勇に抱いた感情と全く同じ様な感情移入をして、香取慎吾を絶えずリードし続けた様に、彼を盛り上げようとする人々も多い様だ。
果たして、彼がホントにその樣な逸材かどうかはまだ僕には解らない。けれども、あたかもその様な素材/逸材として香取慎吾を扱う、『スマステ 5』の制作方針は面白いと思う。

蛇足:他のSMAPのメンバーがよくも悪くもそれなりのポジションを確固たるものにしている中で、香取慎吾だけはまだ明確なポジションを勝ち得ていない。というか、よく言えばあらゆる可能性があるとも言えるし、悪く言えば未だに座標が定まっていない。それを踏まえての制作サイド、事務所サイドの方針と、考えられなくもない。
にしても、次回予告でちらっとやった北野武v.s.香取慎吾対談。恐ろしくて決して本人に聞けない様な質問ズバズバしてましたけど...。大丈夫でした?
shinsenngumi2.jpgshinsengumi1.jpgshinsengumisupecial.jpg

posted =oyo= : 13:11 | comment (0) | trackBack (0) | ニュースをみる

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.rtm.gr.jp/mt/mt-tb.cgi/170

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)