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2005年06月15日

「それから」in news 23

昨日の筑紫哲也NEWS 23の特集「それから」は、ライブドアvsフジテレビ抗争の置き土産、ジャーナリズム論(僕が『松岡正剛の千夜千冊』を紹介したカテゴリーで言及し損なったメディア論と≒かな?)。
抗争の経過にともなって行われた堀江社長とキャスター筑紫哲也との対論で発生した、既存のメディアの”死亡宣告(?)”に対するその後の検証、と言う訳です。
番組の内容自体は、ブログを筆頭とする新しいジャーナリズムの現状の把握を整理整頓しただけで、「筑紫哲也NEWS 23」としてのジャーナリズム論でも”死亡宣告”に対する宣戦布告でも生存証明でも、なんでもない、なんとも中途半端なものだった。

ここで個人的な意見として敢て極論を言わせてもらえば、もう既存のジャーナリズムに対して、公明正大とか透明性とか公平性とかいうものは必要とされていないんぢゃあないだろうか?
かつては、お上の発する所謂大本営発表に対しての検証作業の必要から問われた、それらの諸々のものだったわけだろう。けれども、これだけ情報が氾濫して情報の受容者(つまり我々ですね)が、自らの判断でその情報の取捨選択から正誤の判断をしなければならない中で、正に我々はその作業を自己責任で行っていると思うんですよね。
だから、既存のメディアに求められているものは、次のふたつの、極端に懸け離れた行為だと思える。
ひとつは情報の発信源にいる事。現場にいて、そこで見る事のできるもの、聴く事のできるものを、余計な夾雑物を加える事無く提供する事。それは必ずしも事件事故の現場ばかりでなく、記者会見の現場や、日本的ジャーナリズムの温床としての悪弊が指摘されている記者クラブも含めて。だって、そこにいる事の出来るのは、その当事者も含めて特権的な限られた人々なのだから。
もうひとつは、今以上に恣意的でかつ記名性に基づいた、個々のジャーナリストが自らの責任において行う報道。例えば、大事件や大事故で行われている各メディアの横一線の報道、TVで日々行われている「現場の実況中継→事件発生から現在までの動き→各関係者や有識者への取材→コメンティターやキャスターの発言」という無難な(当たり障りのナイ)行程はもう、いいんぢゃあないの? と、言うのは、ひと昔前とは違っていて、TV報道の速効性というものはもはや失われつつあるからだ。体験的な感覚論ぢみてはいるけれども、TVのニュース番組で始めてその事件事故を知るというより、ネットにしろ口コミにしろもはや既にその情報を得てからニュースを見る方が圧倒的に多いのだ。だからこそ、公明正大とか透明性とか公平性とかよりも、ジャーナリスト個々人の記名性のある報道の方が、面白いし、様々なメディアで飛び交う様々な主体的な報道を得る事によって、事件事故に対する総合的な判断を我々が下す事が出来ると思うのだ。
(そういう意味では、「それから」の後の「多事争論(タイトルは「国益」)」は、従来の視点で観てみると感情的とも思える発話が、逆に評価出来る訳です。)
ぶっちゃけて言えば、既存のジャーナリストは、ジャーナリストであるという特権的な意識やその地位を捨てて、ネットやブログ上で様々な意見を吐く市井の人々と同じ目線で、自らの取材行動で得た成果を発表しなさい、という事です。

ホントは今日はこんな堅っ苦しい話題よりも、M.ジャクソン無罪評決を受けて、評決の正否やコトの真偽はともかくとして『スリラー』全盛時にはディスコで相当お世話になったけれども、10数年前に『オフ・ザ・ウォール』CD再発の際に自身の顔をジャケットから外して整形前の顔を隠し(たつもりになっ)て以来(オリジナル盤と現行盤を見比べたい方はこちらを観てね?)、信用がおけないよね、整形したならしたで堂々としていりゃいいのにね、手前の顔なんか全世界中の人々が子供の頃から知ってんだぜ、須く人間は例えばJBの”SAY IT LOUD,I'M BLACK AND I'M PROUD”の様に堂々としていたいもんだ、なぁんてヨタ話のひとつでもしようと思ったけれども、志賀直哉の『小僧の神様』の手法にならってここで擱筆する事にします。

posted =oyo= : 09:31 | comment (0) | trackBack (1) | ニュースをみる

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